視覚とは私たちが想像するより遥かに巧妙なものです. 外界の様々な情報を眼に映った画像から推測すること,それが視覚の機能であり,私たちの脳内への入力情報の8割を占めています. そうした機能の背景には常に変動する環境への適応機能,様々な視覚的手がかりの統合,記憶との照合過程など,まさに既存技術を格段に向上させるためのさまざまながヒントが隠されています. 例えば,私たちの視覚情報処理容量には限度があり,眼に映った画像のすべての情報を脳内で処理しているのではなく,膨大な視覚情報の中から本当に必要なものだけを選択して処理をしていると考えられています. このような生体機能特有の視覚的注意の働きを明らかにすれば,未だかつてない新たなテクノロジーのための突破口となります. こうした視覚機能を解明するために,ヒトを対象とした視覚心理物理実験を行うとともに,視覚機能の数理モデルの構築を進めています.
質感研究
多くの場合,私たちは瞬時に見た物の材質を言い当てることができます. 材質の識別の他,その状態を見分けることもでき,さらにはその品質の良し悪しを評価できることもあります. このような材質や表面の状態といった質感の知覚が,眼から得られるどのような視覚情報に依拠しているのかを解明するために,私たちのグループではCGや写真などの画像を用いた実験だけでなく実物体を用いた実験を行っています.
例えば,光沢だけでなく繊細な色みの変化やほのかな透明感が見る者を魅了する真珠について,その品質を鑑定する専門家(熟練者)が鑑定を行う環境と鑑定結果の関係について検討することで,熟練者が真珠を鑑定する際に用いる視覚情報について研究しています. さらには,熟練者と非熟練者を比較することで質感知覚に関わる視覚的能力の学習効果についても明らかにしようとしています.
私たちは,ピカピカした金属,透明感のあるガラス,温もりの感じられる木材など,表面に質感を持つ物体に囲まれながら生活しています. ヒトの視覚系にとって,様々な質感を区別することは基本的なタスクです. 私たちはその中でも物体表面の光沢(ハイライト)と着色(アルベドの変化)の区別を中心に,それらがどのようなメカニズムに起因するかを機械学習と心理物理実験の2つのアプローチにより調査しています.
機械学習では質感を持つ画像(例えば,光沢あり画像となし画像)を統計的解析手法により判別し,ヒト視覚系のメカニズムと関連付けます. 心理物理実験では機械学習で得られた結果をもとに,ヒトを対象とした物体質感判断,評定をする実験を行い,どのような画像が物体の質感に起因するかを検証します. そして,心理物理実験の結果を機械学習へとフィードバックし,より詳細なモデルへと修正していくというサイクルを繰り返しながら,質感認知メカニズムの解明を目指しています.
世の中には特別に優れた能力を持つ人がいます. そのような人の多くは,専門的な訓練によって能力を獲得し伸ばしています. しかし,特別な能力を構成する要素のうち,何が訓練によって変化し何が変わらないのかはよくわかっていません. 本研究室では,物体の質感に対して鋭い感性を持つであろう画家やデザイナーなどの専門家と一般人を対象とした実験を行い,その結果を比較することで,質感知覚に関わる視覚的能力の学習効果について研究し,質感認知の環境依存性・学習依存性について解明することを目指しています.
真珠の品質は,いくつかの評価項目に基づく鑑定士の目視によって決められています. しかし,専門家による評価と素人による評価ではどのような違いがあるかは知られていませんでした. 本研究室では専門家と真珠に関する知識を持たない素人による真珠の評価実験の結果を比較しました. その結果,素人も専門家と同じ要素に基づいて評価するが,良し悪しの判定は人それぞれであることを明らかにしました.
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グレア錯視は,光の漏れ広がりを模擬した周辺刺激によって,中央の白色領域が明るく輝いて見える錯視です. 上図にある刺激の中央領域はそれぞれ等しい輝度を持ちますが,ヒトはグラデーションを持つ刺激をより明るく感じ,自己発光物体のような輝きも感じます. 本研究室では,このグレア錯視の色や輝度を変化させて,明るさ感の知覚にどのような影響を与えるか,その視覚情報処理メカニズムの解明を進めています. 最近の研究により,有彩色のグラデーション刺激であればさらに明るく感じること,特に赤ー青色相での色付けの効果が大きいことがわかってきています.
光沢感は物体の形状・光学的特性,照明環境によってもたらされ,特に光学的特性が光沢感に影響していると考えられます.しかし,ヒトは物体の光学的な特性そのものを知らない場合でも,網膜に映った物体像のみから光沢感を容易に知覚することができます.この光沢感を知覚するメカニズムについては未だ解明されていません.本研究室では,物体画像の画像特徴を細かく調整した実験により光沢感に寄与する画像特徴を調査し,それを捉える視覚系のメカニズムの解明を目指しています.
ヒトの瞳孔径は光量だけでなく,物体表面の光沢感知覚などの認知状態を反映して変調されることが知られています.本研究室では,光沢感などといった物体の主観的な質感と瞳孔反応の関係を調査しています。物体画像を呈示したときの瞳孔反応と実験参加者の応答を取得・解析し、瞳孔反応のしくみの解明を目指しています.
上の2つの図形は,カナダの山奥深くに住む原住民の言葉で,どちらか一方は「ブーバ」,もう一方は「キキ」と呼ばれるものです. どちらがどちらか,当ててみてください. この質問には,その人の話す言語によらず,多くの人がまるみのある方を「ブーバ」,とがった方を「キキ」だと答えることが報告されています. これは,ブーバキキ効果と呼ばれる,音象徴(音と何かしらのイメージが結びつく現象)の一つです. では,質感と音の間にはどのような関係があるのでしょうか? 日本語には,質感を表すオノマトペ(擬音語・擬態語)が数多く存在し,私たちは日常的に「ゴツゴツした椅子」や「もふもふの猫」といったように質感をコミュニケーションします. 日本語を母語としない人々の間にもそのような質感と音の関連が見られるのでしょうか.
物に触ったときに生じる感覚を触覚といいます.また,質感のなかでも特に触覚によって生じる質感を触質感といいます.ところで,よいモノとはなんでしょうか.日頃みなさんがさわるモノはよいモノであるはずです.なぜならば,好まれるモノはよいモノであるため値打ちが高くみられ,嫌われるモノを上書きしていくからです.世の中には多くの好まれるモノがあふれています.しかし,“好まれるモノとはなにか”は科学的には明らかにされていません.もし,まったくかかわりがない人でも,似たようなさわり心地を同じように好きだとしたら…人の生まれた場所や時代または触れ合ってきたものの違いにかかわらず,触質感によって“コレいいね!”で通じ合う日が来るかもしれませんね.